古来から、中国と日本は一衣帯水で別懇の隣国である。経済においても文化においても生まれつきの繋がりがある。たぶんこうした多くの歴史的、感情的なもつれがある両国関係は世界中にもないでしょう。
歴史を振り掛けると、二千年余りの交流の中で、両国関係は何度も起伏があるが、平和友好はずっと歴史の主流である。
光武帝建武中元二年(西暦紀元57年)、後漢政府と倭国との外交関係を樹立した。これは中日両国の外交関係を公式に確立する最古の記録である。友好交流の新紀元を開いたと言えるだろう。八十年代、中日交流の園地には茶道、華道、俳句など三株の美しい花が新たに増えた。また、鑑真和尚坐像の揚州への「里帰り」及びその記念堂の落成、西安の空海記念堂と記念碑、阿倍仲麻呂の記念碑の建立などは、古代の中日の友好の代表的な偉大な人物に対する謳歌と偲びだけでなく、後世人に対する鞭撻と励ましでもある。このほか、隋朝と唐朝の頃から、日本は多くの遣隋使と遣唐使によって古代中国の先進的な知識を学んでいて、さらに中日両国の友好関係を促進していた。経済・文化交流のクライマックスを迎えた。近代に入ってから、日本は欧米の優れる文化・技術を学んで先進国の仲間入りをした。その後、領土紛争とか外交摩擦とかなどの問題が次々と出てきたが、両国の貿易関係が途切れなかった。本当に「あなたは私の中に私はあなたの中に」という相互依存の緊密な関係を築いた。これは経済のグローバル化の趨勢に従うためだけではなく、二千年あまり以来両国の間で断ち切れない絆が存在しているのである。
昔から「和すれば双方に利があり、闘えばともに傷つく」という話があり、中日関係の発展の歴史はこの真理を裏付けるのではないかなと思う。中日文化は同根同源で世界文明の宝庫を豊かにしてきた。友好の軌道に乗って初めて、相互利益を実現できる。しかし、今のところ、中日関係の行方に悲観的な見方を持っている方がますます多くなる。政治の面から見たら、このような見方は非難すべきものではないでしょう。政治面を抜きにして全体から見れば、中日関係は大いに見るべき価値があるとされている。中日友好発展の新たな一章を書くのは絶えず双方利益のために貢献する両国の国民であろうと思う。東京フォーラムで「中日の民間交流は厳寒の中の暖流、春への希望感じさせる」という話を聞いたことがあった。国と国との関係の要は、国民同士の友好である。目下のところ、民間の意思疎通の継続と官民の働きかけ合いを通じて、長期的で安定している発展を遂げる見込みがある。留学生・研修生の相互派遣のほかに、「民間外交」「友好運動」と称される中日民間交流はずっと旺盛な活力と発展趨勢を保ち続けてきた。厳しい情勢を直面する時でも、特殊な役割を果たしていた。過去半世紀にわたる中日民間交流の辿った軌跡を回顧し、それは疑いもなく非常に重要な歴史的な意義と現実的な意義を持つのである。
今、多くの人は中日関係に関心を寄せた。中日両国が手を携えて共に進むのは両国国民の意向に沿うだけでなく、世界各国人民の共同の利益にも合う。現在中日関係は氷点下に陥り、これは国民ひいては国際社会にとっても望ましいことではない。両国にいかなる歴史的な衝突があるが、中日友好の信念を胸に抱き、両国関係の改善を促進しようという真心を持っていれば、知恵に富んだ偉大な二つ民族は必ず明るい道筋を見つけ出すことができると信じる。絶え間なく努力さえすれば、中日関係を緊張状態から抜け出されると思う。
施其堂 :(2019-10-27 07:28)
回复